(今回の記事はコーヒーとは全く関係ありません。あしからず)
この20年の間で、価値の対象は所有からサービスへと急速にシフトしてきました。
70年前。
戦後の日本にはお金もモノも無く、人々の目標は自分の資産を増やすことでした。それは高度経済成長期に増幅され、マイホームや車、家電を所有することが人生の幸福といった価値観が当たり前と事として浸透していました。
国や大手広告代理店が、国民にそのような意識を植え付けたとも言えます。
この時代背景には”貧しさ”があるんだと思います。
当時の人々は貧しさを埋めるために、自分の周りをモノでまとい、幸福感を得ていたのではないでしょうか(間違っていたらごめんなさい)。
バブルが崩壊して。
人々は必要なものは一通り手に入れてしまいました。蛇足ですが、人の幸福感は今ではなく、過去から今の変化率に比例すると言われています。例えば、ずっと100の位置にいる人よりも、10から50に上がってきた人の方が幸福感は高い。
産まれた時から、欲しいものならある程度手に入る日本で、モノを持つことで幸福感を高めるのは限界にきている気がします。
モノからサービスへ
今から20年前、モノという幸福感を満たしてしまった日本人はサービスを求め出しました。
日本では洋服のレンタルやカーシェアが漸く一般に認知されてきましたが、アメリカは昔からサービスの文化が根付いています(ここでいうサービスは、日本のおもてなしとは別の概念です)。
根拠はありませんが、欧米のチップ文化が深く関係している気がします。
日本のサービスは、無償で提供されるのが当たり前という風潮があります。ちょっと手際の悪いコンビニの店員さんに怒っている人を見かけると
「この人海外のコンビニに行った事ないんだろうなぁ」
と、思います。
日本のコンビニ店員が時給千円足らずで働いている事を考えると、彼らのサービスレベルは最高峰だと思うんですよね。これはまさに日本だからできる事です。
一方欧米では、サービスの対価としてチップが存在します。
今でこそ形骸的なシステムになっていますが(レストランでは◯◯%のチップを払うのが普通、みたいな)、根底にあるのはサービスへの対価を支払うという考え方です。
例えば、アメリカの家電量販店では、購入してから一定期間であれば、無条件で返却が可能です。そのため、例えばデジカメで気になる機種が3つあれば、とりあえず3つとも購入し、1週間後に2つ返却するといった対応が当たり前に行われています。
日本でも7日以内ならクーリングオフという制度を使って返却は可能ですが、アメリカでは、それを日常の手続きで実現できるのです。
アメリカのAmazonも同様のシステムなので、パーティーグッズをAmazonで購入し、パーティーが終わったら返却するといったレンタルもどきの使い方も可能なのです。(あくまで常識の範囲内でですが)
2016年。
この、サービスに対する価値観の違いが、奇しくも過去最高の訪日外国人数につながっているのです。
よく日本の女性が「物価が安いから」という理由でアジアに旅行するという話を耳にしますが、それも過去の話です。
シンガポールや香港の物価は、すでに日本と同じかそれ以上です。昨年香港に行った時に驚いたのは、香港の都心部のマンション一部屋の価格は、1億円以上が相場で、2億円でも高くないそうです。
もちろん昔ながらの屋台や庶民の店の物価は日本より比較的安いですが、中間層以上の生活レベルは、日本を遥かに超しています。
彼らからすると、日本は物価も安く治安も良い、さらには無償でのサービスの質が高いという良い事尽くめなのです。
ですので、ここ数年の訪日外国人数の増加は、日本のプロモーションが成功している訳ではなく、ただ単に経済成長が止まっている証なのです。
これから。
ではどうするか?その答えはサービスに正当な評価と対価を与える事です。ものづくり大国であった日本は、サービスや人手を軽視しがちです。
良いものを作れば売れるという時代はとうの昔に終わっています。その時代を謳歌してきた人達に決断を迫るのは酷かもしれませんが、サービスの価値を見直さない限り、日本の衰退は止められないと思います。
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